


フレンズ・スクール 1890年
歴 史
フレンズ・スクールは1887年1月31日、ホバート市ワーウイック通り60-62番地(建物は現存)にクエーカー教徒のフレンズ宗教ソサエティの手によって開設されました。最初の学生数33人は急速に拡大したため1889年1月28日には、現在のコマーシャルロードの地に、ホバートバプティストからのA$4000の借り入れによって移転しました。
最初の校長は、優れた教育改革者サミュエル・クレムスで、特に共学についての信奉者でした。
彼は1900年に辞職し、ピリー通りにレスリーハウス(後のクレムス・カレッジ)という家族学校を、更にアーガイル通りにボア・ビスタを設立しました。これが現在、小学部とクレムス(11-12年生)になっているところです。クレムス・カレッジとフレンズスクールは1946年に統合されました。
1923年は学校の歴史の中で新しい時代の幕開けとなった年です。9月28日に学校の管理がロンドンクエーカーからホバートの委員会に委譲され、1週間後にはエルネスト・アンウインが到着して彼の指導で目覚しい発展を遂げることになりました。この期間に学校の外観も大きく変わりました。玄関のポーチコ部分に加えてホッジキンホール、元の科学・芸術ブロックと男子の寮棟などが建てられました。1955年の2回目の増築期までは大きな変化はありませんでしたが、それ以降、1955年の幼年学校(Preparatory School)の開設に始まり、1958年には運動グラウンドが作られました。コマーシャルロード部分の建設は1962年に始まり、アンウィン記念科学・芸術ブロックが作られ、1970年代の図書館、アステンシアター、追加の科学関連棟に発展し、1980年代にはW.N.Oatsスポーツセンターも建てられました。小学部のクレムス記念図書館は1986年には旧クレムス集会ホールを転用して作られました。
1990年代には、将来計画のための資金募集キャンペーンを行い小学部の新しい教室の建設、中等部と高等部(クレムス)の古い施設の改装などが可能になりました。
ここまで述べた建物の歴史だけで学校の歴史があると考えてしまうと、それは間違いです。歴史は人間によって作られるものです。歴史とは人々の思索や特徴的な行動の記録なのです。学校の歴史は、教職に努め15年 以上勤務したことで名誉ボードに名前の記された先生たちの並外れた貢献によって恩恵を受けてきました。二人の校長の貢献は学校の一世紀以上の歴史の半分以 上に及んでいます。これらのすべてが、学校の行動において基本的な信念として解釈され、子供たちの心の中に神のようなものとして存在し、将来の可能性 や成長に向けた基本となっています。
協力的な学校コミュニティというフレーズは、学校のコミュニティの気風(エトス)を表すものとしてしばしば使用されます。父兄がこのコミュニティの不可欠の要素です。父兄と教師とは互いの信頼を共有しています。
I100年以上の学校の歴史の過程で数千人の若い男女がより広いコミュニティに巣立っていきました。学校のモットーNemo sibi nascitur「我々はお互いの仲間」の元で培ってきた学位はまた、フレンズ・スクールの歴史の重要な部分ということが出来るでしょう。
ウイリアム・オーツ
(校長 1945-73年)